3.11に思うこと。

あれから5年

人間は「忘れる生き物」だ。

「試験勉強をがんばったのに、テストのときは忘れてしまった」

「大事な書類を家に忘れてきてしまった・・・」

「あれ、この人の名前なんだったっけ・・・」

こういった場合はできるだけ「忘れる能力」は身をひそめてほしいもの。

一生懸命ホッケーの練習をして身体が覚えたスキル。

これも努力を怠ると、身体はそれを忘れてしまう。

せっかく覚えたのに・・・。

忘れなければいいのにな・・・。

と思う。


かといって忘れる能力というのはネガティブな面しかないのか、

というと、そうではないとも思う。

「大切な何かを失った時の心の悲しみ、苦しみ」

「怪我や病気で感じた痛み」

こういったものが永続的に続いたら、どうだろう。

「試合に負けたくやしさ」

これが一生続いたら、胃がいくつあっても足りない。

そう考えると、

記憶が薄れていく能力。

忘れる能力。

こういったものが人間に備わっていてよかったな、と思えてくる。


今日。

3月11日。

いつものように会社に出勤し、仕事終わりにジムに寄ってトレーニングをして帰ってきた。

普段と大きく変わりない1日であったが、あの日から5年という節目の1日でもあった。

メディアの報道を見て。

周囲のSNSの投稿を見て。

ジムの近くでデモを行っていた人々を見て。

自分なりに頭の片隅でいろいろと思いを巡らせた1日。

自分は何を忘れ、何を記憶しているのだろうか。


当時感じた得体のしれない恐怖感。

見えない未来に対する不安。

こういったものは5年の月日を経て、自分の中から徐々に薄れていった。

自分が体験した揺れの大きさ。

当時ニュースで頻繁に流れていた津波の映像。

震災の影響を受けた知人とのやりとり。

東北の方々に迷惑をかけてしまった経験。

こういったものはまだ深く記憶に残っているし、今後も消え失せることはないかもしれない。


3.11

節目の日。

自分はなにを思うか。なにをすべきか。

人それぞれの考えがあり、やり方がある。

以前、ホッケー日本リーグで東北シリーズが行われたが・・・。

来年度の国体は岩手で開催されるし、その近辺でなにかできないか、考えてみようと思う。

ほかにも、いろいろと考えてみたが。

いまできること、そしてこれからもできることとして。

最低限、これだけはしようと思った。

「毎日、一生懸命生きよう。」

と。

震災によって亡くなった方が大勢いて、いまでも元の生活に戻れない方々もいる。

震災に関わらず、世の中には生きたくても生きたくても、命を失っていく人たちがいる。

なにも罪のない人々が、自然の脅威によって命を落とす。

なにも罪のない人々が、病魔に襲われ命を落とす。

人生はいいこともあれば、わるいこともある。

生きている限り、そこに喜怒哀楽があり、

生きている限り、そこに死はある。

誰もがこの運命から逃れることはできない。

人間ができるのは、いいこと、わるいこと、ひとつひとつの出来事に意味をつけていくこと。

それだけだ。


いいこともわるいことも受け入れて、そこに自分なりの意味を見出して人生を送ること。

生きたくても生きれなかった方々のご冥福を祈り、命あるものとして精一杯生きていきたいと思う。

藤本一平

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